google.com, pub-5466711727949766, DIRECT, f08c47fec0942fa0 池波正太郎-旅するように暮らしたい

池波正太郎

2020/08/17

鬼平犯科帳 池波正太郎

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作家 池波正太郎

中高年の方には有名ですが若い方はご存じないかもしれません。

一番有名なのは鬼平犯科帳という時代小説です。鬼平犯科帳にはたくさんのファンの方々が日本中にいます。


略して鬼平マニアですが研究者クラスの猛者がたくさんいらっしゃいます。なので鬼平犯科帳については私が話すまでも無いと思います。ですから今回はご本人について書いてみたいと思います。







小説家 池波正太郎、1990年5月3日、67歳に都内で亡くなりました。
今年は没後30年という節目となります。それほど大昔ではないですね。

池波さんのエピソードはたくさんありますが "男の作法" や"散歩の途中に何か食べたくなって" などのエッセイでご本人の人柄を知ることができます。

銀座という街を愛し、特に食べ物へのこだわりが強くある方でした。



奥様に関する話になりますが、ご自宅での食事メニューを毎日ノートに記録させていたそうです。美味かったとかの感想もメモさせていたそうです。

そのノートが1年、3年、5年分と増えるたびに奥様もノートを見直すようになり料理に工夫をこらしたり、旬の素材を取り入れるなど進歩していったそうです。

思うに、池波さんは奥様に気付きや自信を持たせるための手段としてノートを使ったのでしょう。

「旨いものを作らせるためには旨いものを食べさせないとだめだ」と言われたそうで、銀座の旨い店 (天ぷら近藤など) にも奥様を連れて行かれたそうです。



もう一つ、池波さんはお母様と奥様の3人で暮らしていました。お母様は江戸っ子気質で気の強い女性だそうで、奥様も気の強い性格でお二人の仲がこじれて喧嘩ばかり続いた時期があったそうです。

そこで池波さんはお二人共通の敵になることを決めます。まず全員での食事を禁じ、先に池波さんが食事し、その後に女性二人の食事です。

池波さんは何度も料理を引っ繰返したそうです。時間が経つにつれて池波さんの横暴に女性たちは力を合わせるようになったそうです。嘘みたいですが本当の話です。

よく憎まれ役になると言いますが実際はなかなか出来ないことですよね。
自分だったらそんな決断が出来ただろうか?と思います。

池波さんは本当の意味での ”知恵” をお持ちだったのではないでしょうか?それぞれの瞬間に本当に必要な手段を講じる。その考え方は池波さんの文体に生きています。

私が30歳代前半の頃1カ月胃潰瘍で入院したことがあります。その時に先輩がお見舞いで持って来てくれたのが鬼平犯科帳の文庫本でした。

読み始めるとすぐにハマりました。未読の方は古臭い、難しい、と思ってる人が多いと思いますが全く違います。無駄を省いたスピード感あふれる小説です。

私もものすごい速度でページをめくりました。気がつくと半日経っていたなんて事も多々ありました。それほどまで読者を魅了する小説です。

鬼平犯科帳の文庫本は確か24巻だったと思います。何かの機会毎に読み返し結局は全巻を7〜8回は読みました。読むたびに発見がありました。最後の文庫には「作者急逝に付き絶筆」とあり呆然としたことを思い出します。



良い小説は何度も読み返すことができます。


読み返しをする人の年齢で感動できる場所が変わります。


それでは、また~。








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