google.com, pub-5466711727949766, DIRECT, f08c47fec0942fa0 30年以上前のサンフランシスコの地震-旅するように暮らしたい

30年以上前のサンフランシスコの地震

2020/08/23

アメリカ 災害

t f B! P L

とても古い話をを突然思いだしたのですが。。。

それはサンフランシスコの地震です。日本ではサンフランシスコ地震と言われてましたが、正しくは、ロマ・プリータ地震、Loma Prieta earthquake 1989年10月17日 17時04分 マグニチュード7.1 でした。






私の人生で初めて経験したとても大きな都市災害でした。私はその時、ベイエリアの建物の6階にいました。確かに強く揺れたんですがそんなに大事件とは考えていませんでした。そのビルが大変しっかりした耐震工事がされていたせいかもしれませんね。



はじめは大した事ないねと皆んなで話していましたが、徐々に被害が大きい事が分かってきました。その場にいたアメリカ人達も早口の英語で慌ててる感じが伝わってきました。



ベイブリッジが落ちた!2層式の橋が崩れて1層になってしまったと言った情報が入った時は、全員言葉を失って呆然としていたのを思い出します。
ベイブリッジは2層式で上の道路を走行中の車が跳ね飛ばされ落下したそうです。下の道路を走行中の車は落ちた道路に押しつぶされたそうです。41人の死者と多くの負傷者を出しました。







我々は宿泊していたホテルに戻りました。しかし廊下は停電で真っ暗でした。想像してみてください。ホテルの廊下は両側が客室です。なので外の光は入らないので本当の暗闇です。私は手探りで自分の部屋まで辿り着きました。まだ外は明るかったので部屋の貴重品や資料を持って仲間と合流しました。



ホテルスタッフの誘導で仲間と一緒に1階のレストランの席に落ち着きました。ちょっと奇妙なんですが、全員にアイスクリームが配られました。それは停電で冷蔵庫が止まったので熱に弱いものから優先して食べてほしいとの事でした。アイスを食べるお互いの顔を不思議な感じで見てました。



その時突然、銃声と悲鳴が響き渡りました。「レストランの奥の方でひったくりが発生したので貴重品を確認して注意してください」アナウンスが聞こえてきました。”ひったくりで銃声なんてアメリカだな〜” と妙なことに感心してました。私も若かったので。。。



日本に無事を知らせるために電話を探しましたが、どこの電話も繋がりませんでした。また街中の信号機も停電で消えていて普通なら車同士が我先にと大渋滞になりそうなものですが、お行儀よく4方向からの車が1台ずつ時計回りに通過して行きました。その様子を見て市民の礼儀正しさにとても感心しました。



夜になり街中の照明は非常灯を除き全て消えていました。よく見回すと山の上の方に明かるい家々が見えました。仕事仲間のアメリカ人になぜかと聞くと ”あれは大金持ちの家だから自家発電設備を持ってるのさ” と苦々しい表情で教えてくれました。アメリカ人もそんな時はイラッとするんだなあと思ったことを憶えています。




後で聞いた話ですが、野球場ではワールドシリーズが開催されていてゲーム直前に地震が起きパニックに成りかけた時にある選手がマイクを持って「老人と子供と女性が先だ!」その声で球場が静まり返りパニックにならずにすんだそうです。本当の意味でアメリカの英雄ですよね。



やっと日本に電話がつながって会社から家族へ無事が知らされました。地震のニュースで憔悴しきっていた私の母親は、私の無事を聞いてその場で泣き崩れたそうです。私にとって、EARTHQUAKE という単語は一生忘れられない単語の一つになりました。




それでは、また~。








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2022年現在、65歳のシニア世代の自分が感じたことを発信したいと思ったのが出発点です。やってみて良かったこと。買ってよかった物。試してみたら意外と楽しい事、また得したこと等を記録していこうと思います。

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